おれ かきすてる おまえ よむ

ぶんたい いろいろ いちにんしょう ばらばら でも それでいい きにするな おまえ つよくいきろ それでいい

「私のどこが好きなの?」

という言葉は、自分にとってなかなか困りものなのです。どこがと言われてもねえ。そりゃあ、優しいところが好きな気もするし、趣味が合うところが好きな気もするし、あれも、これも…でも色々考えたってどれも凡庸だし、そしてどれもこれも、決定的な理由とは思えないのです。

そうそう。就職活動をしていても、「弊社を選んだ理由を教えてください」とか、「なぜこの職種を志望されているのですか」とか、いちいち理由を聞いてくるじゃないですか。あれがどうも苦手で。

そりゃあ、それを聞く気持ちも分かります、分かりますけども、でもね?理由なんて後から見出すことも多くて、無我夢中で走っている時にいちいち考えないってことはたくさんある。逆に、たった一つの理由なんてものはなくて、すごく複雑に物事が絡み合った結果であって、一口には説明ができないことだってある。中でも一番イヤなのは、「あなたの趣味を教えてください」が暗に要求する「その趣味を選んだ理由」、からのー、「趣味と志望との関係」みたいなパターン。あのねぇ…

ねーよ、そんなよくできたストーリー!!!

理由はないから、君が好き。

でね、思ったんですよ。もしかして、本当に好きなものっていうのは、理由がないからこそ、「本当に好き」なんじゃないかなって。

極端な例を言えばね、あたしお金を稼ぐ男性が好きなの☆という女性は、旦那が金稼げなくなったらもう好きじゃないってことじゃないですか。巨乳が好きでしょうがない男は、嫁さんが歳食って垂れチチになったらもう好きじゃありませんってことじゃないですか。

経験ありませんか?あれほど好きだったミュージシャンなのに、時と共に作風が変わり、なんだかついて行けなくなってしまったこと。それでも好きでいたくて好きになる理由を探して、努力したけど、昔の気持ちは取り戻せなかった、なんてこと。逆に、自然と永く聴き続けているミュージシャンには、自分が彼を好きであり続ける理由なんてなかったりして。

自分は、いまぼんやりと思い付く「彼女の好きなところ」がいくつかなくなってしまったとしても、それでも彼女のことを好きなままだと思う。上手く言えないけど、そんな気がするし、そうありたいとも思う。だからね、「好きな理由」にこだわりすぎると、その理由が崩壊した時にすぐ「嫌い」になってしまうんじゃないかと、それじゃあダメなんじゃないかと、そう思うんです。

必死に理由を考えて、後出しで無理にくっつけて、その理由にすがって好きでいるのはよくない。理由を好きになっちゃいけない。理由がなくても好きだから、嫌いになる理由もなくて。だからこそ、末永く寄り添っていけるんじゃあないかな、って。


という屁理屈を考えていたんですけど、でも「理由なんかないけど大好き」って言う人は「理由なんかないけど嫌いになったから別れましょう」って言い出しそうで理不尽すぎて怖いのでそりゃいくら面接しても不採用ですよねと思ったので寝ますね、おやすみなさい、ちくしょう、ちくしょう。

《新卒で就活していた頃のテキストを再編/改稿》